外交問題と国民の不健康な熱狂について

政治、特に軍事や外交に関わることは、事が国家の存亡に関わることであり、又 個人の知識レベルが低くても(数学の問題とは異なり) 国の代表者の中に同じ方向の意見を、容易に見つけることが出来る。 その為に、自分の意見だけが正しいと勘違いする人が多くなる。 

それだけならば害は少ないが、異なる意見を持つ人の人格を否定するようになると怖い。 宗教的な信条と同様に、内省が働きにくく、間違った正義感と結びやすい。 つまり自分の意見と異なるものは悪者である云々と言うことになる。 このような傾向が強まると、国が大きな問題に直面した時に、大多数の国民の興奮の中で、少数意見の人々を、悪者、つまり右翼だと、売国奴、反日、左翼だと軍国主義者とか人民の敵であると弾劾するようになる。

世の中に自分達だけが正しいと考える程恐ろしいものは無い。 かかる考え方が民主主義を破壊する。 かかる傾向に流されないように、正しい個人主義、民主主義、そして偏狭なナショナリズムを超えた人間主義に基づいて謙虚に自らの考えを深めてゆく事が望まれる。

昭和5年の515事件では、国民の熱狂の中で殺人者が英雄に祭り立てられ、殺された犬飼首相のご家族が多くの国民から理不尽な扱いを受けた。日本人は崩壊に向けて走り出した。 まず立場の異なる人の意見を冷静に聞いて、参考にしながら考えを深めてゆく。決して自分だけが正しいと思ってはいけない。

又外交問題を考える時に、相手国の成熟度を考えることが必要である。国家形成の初期にはどうしてもナショナリズムの熱狂が必要となる場合もある。例えば明治維新。

民度が一定のレベルに達していない場合は、国をまとめる為に、隣国を仮想敵国にせざるを得ない場合もある。国家の民度が高くなり、先進国としての安定を得ている国民は狂的なナショナリズムの危険性を熟知しているし又国境を越えた人間同士の結びつきを大切にするようになる。 民族革命に深く関わった福沢諭吉や孫文はかかることを熟知していた。。。

ようするに後進の国の人々と同じレベルで、他国の人を侮蔑する様なことを、先進国の国民はやってはいけない。 かかる行為によって、国家の品位が損なわれ、愛する母国のレベルを、軽蔑する他国の程度にまで押し下げる。 隣国の人々に対して匿名で侮蔑の言葉を投げかけて平気な人間は、もし自分の父母がその様に蔑まれたらどう感じるか考えてほしい。 外国人に対して侮蔑の言葉を投げかける人々の程度は日本人を不当に侮蔑する失礼な外国人と同じレベルにある。 ましてや同国人に対して侮蔑の言葉を平気で浴びせる人は、更に品の悪いXX国奴である。

先週の週刊文春の記事で、集団的自衛権に疑問を呈する人を売国という言葉を使って罵っていた。 この雑誌の編集長は、美しい国、日本の一流雑誌の責任者たる品位と教養に欠けると思うが、どうであろうか?

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