原発の海水注入の遅れに関する責任について

3月12日のメルトダウンの前に、海水注入が菅首相の指示で55分遅れたとのことである。報道は管首相の責任問題に発展することを仄めかしている。海水注入で再臨界の恐れがあるとの原子力委員会の意見に基づいて、菅首相が東電と原子力保安委員会に危険性について検討する様に指示をした為に、作業が一時中断されたというのだ。

これは純然たる技術的問題である。そして首相は素人である。首相として、もし海水の注入が危険であるとの話を聞けば、本当に大丈夫かと聞くのは当然のことである。海水注入の遅れが致命的な間違いであったとして、第一に、責任を取らねばならないのは原子力安全委員会の斑目委員長である。管首相の間違いは、自民党政府が作った原子力安全委員会の組織を見直すことをしなかったことであり、又彼の悲劇は彼らのアドバイスを受けて判断するしか方法が無かったことであろう。

原子力安全委員会の役割は、そのホームページによると、“国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する役割を担う。”ことである。 行政のトップである菅首相や東電は斑目氏のアドバイスを無視できないのである。

第二に責任を持つべきは東電や保安委員会であろう。もし緊急の海水注入が絶対的に必要であると理解しているのであれば、現場の責任者として断固実行すべきであった。但し、彼らも判断が出来なかったのであろう。そもそも“海水注入の危険性についての検討”とは何も教科書をみてお勉強すると言うことでは無く、現場が、海水注入が危険な状況にあるかどうかを状況判断することであろう。上から言われてその通りにしたと言うことは、彼らも直ぐに判断が出来なかったと言うことであろう。つまり、海水注入が安全であると言うのも“後知恵”だったのである。(本当かな? 本当に言いたいのは次のことです。)

私がこれにこだわるのは我々の世代(50-60才)が強く信じていた職業倫理を現場の責任者が持ってくれていたと信じたいからである。日本は古くは大東亜戦争の時から中央の指導者はスカタンだが、現場の人間は優秀で強い責任感を持っていた。ノモンハンやインパールにおいて中央からの出鱈目な指示があっても前線の兵士は勇敢に戦った。我々の世代も現場サイドでは同じであると信じたいのである。上司におべっかを使っておきながら、問題が起こると上司の責任にする様な無責任人間の集まりであるとは信じたくないのである。(特に三陸沖の被害者の方々やレスキュー隊長の立派な態度をみては猶更である。)

それよりも失望したのは安倍元首相が菅首相に対して“万死に値する。”と批判したことである。 首相を批判すること自体は悪いことでは無い。私も失望ばかりしている。 但し“万死に値する。”と言う言葉がどの様な意味を持つのか彼は理解しているのだろうか? かかる言葉をマトモに受けて菅総理大臣を暗殺する若者が出てきても、“良かった。”と言い切れる覚悟のある人だけが、“売国奴”とか“万死に値する。”と言う言葉を使うことが出来るのである。首相になって、それまでの自分の主張(慰安婦問題)を米国に対して堂々と主張することも出来ずに神経性胃炎になって退陣した人には、そこまでの勇気と覚悟はあるまい。(神経性胃炎になったことを批判してはいけない。失礼。)戦前にも、意見を異なる人間を売国奴などと人格を否定する言葉で辱め、そして多くの暗殺を肯定した国民が、祖国を亡国の危機にまで陥れたのである。その流れの中で高級官僚として指導的立場に上り詰めたのは安倍慎三の祖父である岸伸介であった。吉田茂は彼を悪党と呼んだ。私は、彼も戦争責任を感じながら日本の復興に力を尽くしたのだと信じたい。ところが孫の体たらくはどうしたことか。恐らく安倍晋三氏は美しい日本をめざしながらも、かかる言葉を使ってもちっとも矛盾を感じない程に歴史を理解出来ないお坊ちゃまなのであろう。

この記事へのコメント

Zero
2011年05月22日 00:04
恐ろしい国になって来ましたね、仮にも元首相が、その様な言葉を現首相に対して易々と使うようになるとは。お腹が痛くなったなんてまあ、神経が細いことで、、などと、そこだけ取り出して、気の毒にも思ったんですが、こんな言葉を発しているようでは、美しさに対する感性と共に、その神経の細ささえも怪しいものですね。どちらも一般に首相であるために必要とされてるわけでもないものですが、、。
y浦野
2011年05月22日 23:05
コメント有難うございます。
この危機だからこそ思想の違いを超えて一緒に協力して努力しなければいけないと思うのですけど。

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